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滋賀報知新聞(ニュース)平成13年2月3日(土)第12551号
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第7回八日市市PTA大会
元暴走族総長が語る子育て
=きょう アピアホールで=
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(湖東・八日市市)(再掲載)
八日市市PTA連絡協議会が三日午後二時からアピアホールで開く「第七回八日市市PTA大会」(市教委後援)で、元暴走族総長から周囲の人たちのあたたかい支援により更生した経験を生かして教育問題に取り組んでいる伊藤幸弘さんが講演を通じて現代の子育ての問題を提起する。一般市民も参加できる。
伊藤さんは高校三年生のときケンカで高校を中退、少年院送致の保護観察処分を受ける。その後、トラック助手や自動車板金の仕事に就くが、暴走族に襲われた仕返しのため暴走族を結成。構成員一万五千人の全国組織「相州連合」の二代目総長にまで登り詰めた。昭和五十一年の逮捕で一年間刑務所に服役して出所後、かつて勤めていた自動車修理工場の社長の出迎えを受け再就職。その社長や周囲の人たちの優しい人の心に触れ、「二度と人に迷惑をかけるのはやめよう、これからは人のために生きよう」と決意する。現在は、伊藤幸弘教育研究所を開設して、教育問題に取り組んでいる。
今回の講演では、自らの半生を振り返り、すさまじいほどの経験から、「体当り子直し親直し」と題して、子育てを参加者と一緒に考える。
このほか、講演前には八日市市サマービレッジ実行委員の竹内基恭さんによるスライド発表も行われる。
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インド西部地震の被災地へ
買い物客に義援金呼びかけ
=14日まで 西友八日市店=
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サービスカウンターに設置された募金箱
(湖東・八日市市)
一月二十五日にインド西部で発生した地震は、日を追うごとにその被害の大きさが伝えられている。
世界中から緊急医療援助隊や医師団が派遣され、救助作業や人々の生活、被害の模様も少しずつ明かになってきた。日本国内でも、「死者十万人」とも伝えられるインド西部地震の被災者に救援の義援金を送ろうという運動が各団体により動きはじめた。
八日市市緑町の西友八日市店では、一月三十日から買い物客に「インド西部地震救援募金」への協力を呼びかけている。一階サービスカウンターに募金箱を設置し、各階レジでレジ係が買い物客に声を掛けるほか、店内放送やポスターなどで運動の啓発を続ける。
募金活動は十四日まで行われ、集まった義援金を滋賀報知新聞社を通じて被災地に送ることにしている。
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明社運動八日市地協
車いす5台を寄贈
=アルミ缶回収活動の収益で=
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車いすと目録が手渡された贈呈式
=ハートピア八日市で=
(湖東・八日市市)
NPO法人・明るい社会づくり運動滋賀県協議会八日市地区協議会は、市の福祉活動に役立ててもらおうと一月三十一日、市社会福祉協議会に車いす五台を寄贈した。
同協議会では、十年あまり前から実施しているアルミ缶回収活動で、毎年、収益金を寄付してきたが、今回は市民のみなさんに役立ててもらうと同時に、自分たちの活動を知ってもらおうと、車いすを贈ることにした。
この日は、苗村光男理事ら三人がハートピア八日市を訪れ、車いすと目録を贈呈した。市社協では、寄贈された車いすを有効に活用することにしている。
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最古級の前方後方墳と判明!
反卑弥呼 狗奴国の王墓か
=能登川町の「亀塚古墳」=
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亀塚古墳の全景
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(湖東・能登川町)
能登川町埋蔵文化財センターは一日、長年の間正式に調査されることなく、前方後円墳であるとされてきた同町長勝寺・神郷両地先の亀塚古墳(かめづかこふん)が「最古級の前方後方墳であり、かつ平野部に存在するものでは初の高い墳丘を持つものであることが判明した」と発表した。
亀塚古墳は、JR能登川駅の東約一・八キロ、乎加(おか)神社の裏手に位置し、北東には縄文後期の集落跡・正楽寺遺跡、西側には弥生後期から古墳、鎌倉時代まで約千年以上にわたって栄える湖東地域の中心集落・斗西(とのにし)遺跡、中沢遺跡が隣接している。
今回の発見は、県の緊急雇用創出事業の一環である同町内遺跡詳細分布調査測量委託事業において、昨年十二月から実施されている遺跡範囲確認調査で明かになったもので、周囲の田んぼや畑の下など十数か所を堀り下げたところ古墳全体を取り巻く濠が見つかり、それを繋げた形から、前方部の先がやや開き、後方部は後ろの端が開いて台形になる前方後方墳であることが判った。
亀塚古墳測量図
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古墳の全長は三十五・五メートル、前後の濠を含めると四十七メートル以上あり、幅は前が十八メートル、後が二十五メートル。高さは現況の田んぼから三・六メートル、濠の底からは四・八メートルとなっている。
また、年代は墓坑内の土器から三世紀前半(古墳初期)のものと推測され、同古墳は、山の尾根にある台状墓(だいじょうぼ、北陸中心)、もしくは平野部で周囲に溝を掘った程度の周溝墓(しゅうこうぼ)が特徴である弥生時代から、さらに土を盛り上げ、巨大な古墳が出現する古墳時代へと移り変わる時代の変化を知る貴重な資料であるとともに、平野部での前方後方墳でこれほどの高塚を盛っていたものとしては考古学上、初の例となる。
さらに、中国の古文書「魏志倭人伝」の記述にもあるが、当時、日本には邪馬台国卑弥呼に服従した国が三十あり、唯一対立した国として男子を王とした狗奴国(くなこく)が存在した。前方後円墳は卑弥呼への服従の証として日本全国で作られたものである一方、前方後方墳は狗奴国連合の証であったとされている。
これまで関東地方を中心に発見されていた前方後方墳だが、今回、亀塚古墳が最古級と判明したことにより、近江は狗奴国でも有力地、亀塚古墳は狗奴国の王墓であった可能性が高い。
古墳時代研究の第一人者・石野博信徳島文理大学文化財学科教授のコメント・・「今回の亀塚古墳は平地に全盛土でつくられた高塚前方後方墳として最古であり、高月町小松古墳前方後方墳と共に湖東・湖北地域が前方後方墳のルーツになる可能性が出てきた。このことは邪馬台国時代のクニグニの動向を考える上できわめて重要で、今後の一層の調査に期待したい」
なお、同埋蔵文化財センターでは三日午後一時から、町中央公民館を集合場所に同古墳の現地見学会を開催する。出来る限り公共交通機関を利用のこと。問い合わせは同センター(TEL0748-42-5011)へ。
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伝統と現代生活の共生
日野町の町並み保存運動
住民グループが構想検討へ
=歴史文化の共通理解が重要=
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昔ながらの家屋が軒を連ねる日野町(岡本)
(湖東・日野町)
住民グループ「日野の町並みと景観を考える会」(谷口忠臣座長)の作業は、一昨年夏からの現地調査を終え、保存に向けた構想をまとめる段階に入った。
学識経験者らで構成する「日野町町並み保存調査・調査委員会」(委員長・三村浩史関西福祉大学教授)の素案をたたき台に、来年三月末までに実践へのイメージを膨らませる。
同委員会の素案は、基本的な考えとして▽歴史的まちなみの継承▽貴重な風土・文化の保全・継承▽近江商人の先進的交流の再現―の三点を掲げ、町並み保存といったハード面だけなく、暮らしなどのソフト面にも配慮した幅広い視野を盛り込んだ点が特徴だ。昔ながらの家屋が廃れた背景には、現代生活に適応していないという実情があるからだ。
素案の中には、住むための改造も並行しながら町並みを保存するという、具体的な提言も打ち出している。伝統的な建造物は美しい外観を持つ反面、「夏は涼しいが冬は寒い」「プライバシーが守りにくい」「自動車の車庫を取りにくい」など、不都合な面も持ち合わせる。また、今後の高齢化社会に伴って、屋内の段差を低くするといった大規模改造(バリアフリー)も必要になる。
「日野の町並みと景観を考える会」はこれらの問題をクリアーするため、先進地である三重県関町のケースに注目している。同町の運動は、行政主導で約二十年前にスタートし、住民レベルで定着したのは十五年以上経過してから。伝統家屋の維持管理は、その地域に暮らす住民の理解・協力が最も重要で、事業の明暗を左右する。
そこで同町では草の根運動を目指し、住民グループ(会員七十人)の活動支援や、学校教育の必須科目として「町並みに関する教科」を盛り込むなど、将来のまちづくりをにらんだ人材育成に力を注いできた。
また改修については、保存への呼び水として補助制度を創設したり、今では廃れた伝統工法を業者に講習するなどして、その価値観を再認識してもらっている。さらに行政側のバックアップも強化するため、長野県の伝統建造物保存地区から専門家を職員として招き、現代生活とマッチした建築設計を指導している。
嶋村明彦・関町町並保存係技師は「事業を始めた当初は反発もあったが、今では歴史的建造物を残すことが、地域の知名度アップや愛着、誇りにつながり、住民が主体的にまちづくりに取り組む内面的なものにも影響した」という。
日野町の場合はまだスタートしたばかり。他市町のケースを見ると、人材育成や条例制定など、軌道に乗るまでおよそ二十年はかかっている。担当の安田尚司・同町産業経済主査は、「住民への意識啓発や学校教育、技術者の養成など課題は多くあるが、息の長い取り組みが必要」と話している。
同町で伝統的な家屋が残るのは、主に松尾と大窪、村井からなる東西約二キロで、江戸―昭和初期までの商人屋敷二十二棟、武家屋敷三十九棟が残る。十六世紀前半に戦国武将、蒲生定秀が、中野城(村井)を中心に整備した城下町が原型で、江戸時代以降は日野商人の町として栄えた。
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