製薬のまちから 「古代石薬」
近江日野商人館の蔵で
=正倉院にも保管されている3種類=
▲石薬と判明した3種類(上=枡石、左下=滑石、右下=蛇含石)
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◆東近江・日野町◆
製薬のまちとして栄えた日野町でこのほど、日野商人の商いの奥深さを物語る「石薬(せきやく)」が発見された。山中兵右衛門の本宅だった近江日野商人館(満田良順館長)の西蔵に眠っていたもので、八日市地学趣味の会会長で鉱物鑑定士でもある磯部敏雄氏(58)=東近江市在住=によって古代石薬であることが判明。経済界に新風を吹き込んだ日野商人の事績を象徴する新たな宝に注目が集まっている。
●商人館の蔵から
日野町大窪の本宅を町に寄付した山中家は、静岡県御殿場を拠点に、造り酒屋を営みながら幅広い品物を扱い、当時の日本経済に大きな影響を与えた日野商人の代表格。
昭和五十六年に、本宅母屋(昭和十一年建築)を生かして「近江日野商人館」が開館、日野商人の業績を紹介している。
敷地内には、情緒あふれる庭園のほか、二つの蔵がある。同館職員が蔵内部を整理しているとき、床板が外せる部分に気付き開けてみたところ、床下(高さ約九十センチ)に石がぎっしり詰まった古い木箱十箱(縦約五十センチ、横約二十五センチ、深さ約三十センチ)を発見。木箱側面にはオイルとの英語表記も。
▲石薬が入った木箱が置いてある床下を見ながら日野商人に思いをはせる磯部氏(左)と満田館長(近江日野商人館の西蔵で)
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●磯部氏が鑑定
満田館長は、教師仲間の磯部氏が同館を訪れた際、石灯ろうなどに使われている庭石と併せて、「素人目には大理石に見えた」という蔵の石の鑑定を依頼した。
十歳の頃から五十年近く鉱物研究を続けている磯部氏は、すぐに地中で自然界が生み出す“古代石薬”ではないかとひらめき、自ら役員を務める財団法人益富地学会館(京都市上京区)へ持ち込んだ。
この財団は、薬学博士で地学研究者の故益富壽之助氏が創設したもの。正倉院の御物研究で有名な益富氏は、昭和三十三年に著書「正倉院薬物を中心とする古代石薬の研究」を発刊している。
正倉院(しょうそういん)には、遣唐使が持ち帰った美術工芸品など聖武天皇の御物(ぎょぶつ=天皇の持ち物)が保存されており、世界の文化の宝庫とも称される。その御物の中に、主にシルクロードから伝わったとされる六十種類の薬物がある。
●正倉院と同種類
初めて石薬鑑定をした磯部氏は「三種類とも日本では大量に出ないため、中国から輸入されたもので、粉末にして飲んでいたのではないかと思う。三種類の石薬を持ち込んだ益富地学会館の主任研究員も驚いたほどの大発見であり、注目度は非常に高い」と語る。
今回、発見された石薬は「蛇含石(じゃがんせき)」と「滑石(かっせき)」、「枡石(ますいし)」の三種類で、正倉院にも同じ種類が保管されているという。
益富氏の著書によると、かっ色で重たく小球塊の蛇含石はひきつけや子どものヒステリー、表面がスベスベの滑石は小便不利の症状、枡の形をして表面が褐鉄鉱化した枡石は打撲傷の血と痛みを取るなど、それぞれに効能がある。
●日野商人が売買?
江戸時代の薬売買に関する帳簿「大福帳」には、滑石の売買の記載が残っている。満田館長は「総合商社のような商いを展開していた山中家が、外国から取り寄せた石薬を日野の店に卸していたのではないか」と推測し、山中家の資料を細かく読み返している。
今後、富山大学に依頼し、石薬の化学分析など詳しい調査が行われる予定。
●一般に公開
同商人館では、十月一日から秋季企画展「日野商人こんなことが見つかっ展」を開催し、古代石薬を一般に公開する。
また、“正倉院の宝物になった石 石薬と石製宝物”をテーマにした西日本最大級の展示・即売ショー「石ふしぎ大発見展」(十月十一、十二、十三日の三日間、京都市のみやこめっせ)でも、同商人館で見つかった三種類の石薬が展示される。
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