滋賀報知新聞(社説)

1/14・骨のある市民団体がまた一つ消えるさみしさ

 毎年、画家の鈴木靖将氏が描いた似顔絵にメーセージが添えられた年賀状を愉しみにしている。それは、「ストップ・フロン滋賀」事務局次長を務める野口陽さん(63)からの年賀状である。今年も拝見すると、そこには、来月五日午前十一時からストップ・フロン滋賀の解散パーティーを大津市立市民文化会館で開催すると書かれてあった。
 「ストップ・フロン滋賀」は、大津市内で電器店を営む同氏らによって平成六年に結成された。なかでも活動の大きな成果は、全国に先駆けて十二年にフロン放出禁止を盛り込んだ大気環境への負荷の低減に関する県条例、十三年には国会における議員立法による「フロン回収・破壊法」の制定にこぎ着けたことだった。絶えず全国の先頭を走ってきたストップ・フロン滋賀だが、一応の役割は終わったとして、来月に終止符を打ち、今後はNPO法人ストップ・フロン全国連絡会の一員として活動するという。
 野口さんは「これからは発展途上国のフロン対策に取り組みたい。解散パーティーでも、啓蒙の道具として金のかからない紙芝居を披露するが、これを途上国に広めていく」と話していた。けっして権力にこびず、きちんと社会状況や行政にもモノが言える市民団体がまた一つ消えていくさみしさを禁じ得ない。なお同パーティーには、広中和歌子元環境庁長官の記念講演も予定されている。参加費は三千円(軽食、飲み物付き)。希望者は、二十九日までに同事務局(077ー537ー4970)へ申し込みを。


1/12・入札を何故急ぐ

 来週十九日に東近江市はケーブルネットワーク整備事業の伝送路設備工事、センター設備整備工事など四件と告知端末機一万二千台の購入の入札を行い発注する。工事は第一工区(予定価格七億七千万円)、第二工区(予定価格四億五千二百万円)、第三工区(予定価格五億二千五百万円)、センター設備整備工事(予定価格二十億三千九百万円)と落札上限価格である予定価格が公表されているが業者名は公表されていない。告知端末機は予定価格も業者名も公表されていない。
 昨年末現在でケーブルテレビ加入世帯は当初予定していた加入率七十%を大きく下回り約三十%に過ぎず、事業費を加入率五十%で再積算した経緯がある。
 しかし、それぞれの工事には特殊性があり、地元業者は一切指名されないために自ずから業者は限定され、告知端末機にも同様の事が言える。
 旧八日市市の加入率が約十四%と旧四町の約七十三%に比べてかなり低くこのケーブルテレビ事業は旧八日市市民にはまだまだ説明不足でほとんど理解が得られていないと言えよう。この様な状況下での予算執行にはいささか疑問があり民意が反映されない予算執行には議会も賛成しないであろう。
 更に特定業者に限られる入札にご丁寧にも予定価格を提示するとは談合を助長しているといわれても仕方がなく、十九日の入札結果は談合があるとすれば予定価格の約九十五%程の高価格で落札し、行政が望む予定価格の約七十%にはほど遠い数字となる。告知端末機の入札結果は落札業者も落札結果も公表しないが、落札金額の適正性や透明性を増すためにも市民に公表すべきだ。
 血税を無駄にしないように賛否両論が渦巻く中での入札結果に注目したい。


1/10・美しい元気なまち新・東近江市

 平成十八年一月一日、東近江市と旧能登川、蒲生両町が合併して「新・東近江市」が誕生した。これから毎年、新年を迎えるたびに新・東近江市の発足を祝う。だが、先の旧一市四町による合併は、昨年二月十一日の建国記念日であることに違いない。やはり、東近江市の誕生は、毎年二月十一日の建国記念日であろう。
 この日を境に生れてきた子供は、真の東近江市民として育っていく。各市町に生まれ育った人々にとって、やはり八日市、永源寺、五個荘、愛東、湖東、能登川、蒲生の意識は強い。合併したといえ、これまで地域エゴが随所にみられ、東近江市の市民一体を感じるには五年、十年かかるだろう。地域における意識の違いをなくすのは、合併後に生まれた子供に託したいし、大人も努力する必要がある。
 昭和の大合併から五十年余りが過ぎ、この間の交通、情報関連の発展は目覚しく、生活や行動範囲は大幅に広がった。それだけ、のんびりした生活はどかへ消え失せ、生活にゆとりや癒し(いやし)を求める時代に突入した。高度成長を追及する戦後と違って、自然と共生する人間本来の生活を取り戻したい、と頭で考えてみても、なかなか、がんじがらめの社会は許してくれない。
 合併したからといって、そう急ぐことはない。東近江市の「形はできたものの、中身はこれから」と五年、十年先を見越した将来ビジョンが求められる。中村功一市長が目指す「美しい元気なまち東近江市」だろう。自然が美しいだけでなく、市民みんなが助け合う優しい気持ちが美しい、元気いっぱいの東近江市にならなければ。


1/7・今年こそ、木を見て森を見よう

 国松善次知事は四日の定例記者会見で「地球温暖化が進む中で、サスティナブル滋賀を目指す」ことを明らかにした。「サスティナブル」はあまり聞き慣れない言葉だが、環境を破壊しないで社会・経済の成長や資源開発が継続できる“持続可能な”県を考えようとするものらしい。それは、これまでの環境行政をもっと大局的な視点で、言葉を変えれば“木を見て森を見よう”とする姿勢であり、大変結構なことだ。
 しかしながら県の環境行政が“木を見て森を見ず”と感じる時が往々にしてある。先月二十八日に資源循環推進課が行った記者会見もその一つ。栗東市小野のRDエンジニアリング社の産廃処分場で同年九月末に見つかった五個のドラム缶の内容物の分析結果を発表したが、県は「釘や木片などの燃えがらと考えられるが、ほとんどが環境基準を下回っており環境に大きな影響はない」と縷々(るる)説明するばかりだった。
 だが分析結果をよく見ると、環境基準の一・五倍のホウ素や、土壌汚染対策法の基準の約四倍近い鉛、比較的濃度の濃いダイオキシンなどが検出されているのだ。また、その後の掘削調査で百個のドラム缶が検出されたというのに、県は「RD社に厳しく問いただした」と言うばかりで、肝心の真相究明が抜け落ちたままだった。分析数値の羅列だけの“木を見て森を見ず”の記者発表はここらで終止符を打たないと、国松知事の掲げる「サスティナブル滋賀」は“夢のまた夢”に終わりかねない。


1/5・新市に複数の副市長制を

 昨年十二月、地方制度調査会が小泉首相に「都道府県の出納長や市町村の収入役の廃止等を柱とする地方行政組織のスリム化を求める」答申を行い、今月召集される通常国会にその答申を受けて地方自治改正法案が提出される。その要旨は「副知事・助役、出納長・収入役を廃止し「副知事・副市町村長」制度に改め、副知事・副市町村長は現行の職務に加えて長の権限を委任することを明確にする」とある。
 東近江市は今月一日に能登川町と蒲生町を編入合併して人口約十一万八千人、面積約三百八十三平方キロメートルと琵琶湖から鈴鹿山系に渡る大きな新市に生まれ変わり、その面積は名古屋市をも上回っている。
 合併により市長一人、町長六人と助役七人、収入役七人がそれぞれ各一人となり財政面から見ると随分軽減されたと言えよう。しかし、広大な新市を市長一人と市長の補佐的な役割が高い助役、収入役の三名がかけずり回ってもなかなか新市市民の意は汲みにくい。
 一市六町が合併して新東近江市が誕生したのだから、隅々まで民意を充分に問い新しい街づくりを円滑に進めるためにも複数の助役を置く事も必要ではないだろうか。地方自治法に助役を置くことが定められているが、条例で定めれば二名以上の助役を置くことも可能だ。新東近江市が軌道に乗り街づくりが順調に進むまでの間三名程度の助役を置き、任期に拘らず目的が達成できれば任期内でも市長が解職できる。更に収入役を廃止し三名の助役を副市長とし権限を委任し市長と共に街づくりに責任を持たせるべきである。
 早急に複数助役、副市長制を論議すべきである。


1/4・今年も「減災元年」を宣言した国松知事の心意気

 一月一日付本紙の新春座談会は、あえて「防災」を取り上げました。国松知事を囲んだ座談会のテーマについて、昨年の編集会議は、カンカンガクガクの議論がたたかわされました。大勢は「お正月に震災の座談会は常識はずれだ。もっと夢のあるテーマを」といった具合でした。しかし昨年、相次いだ児童殺傷事件などに見られるように、いまほど安心、安全が求められている時代はないという認識から、最後は「防災」に落ち着いた次第です。
 新春座談会では、地震学の第一人者である入倉孝次郎・愛知工業大学客員教授をお迎えしただけに、この際とばかり「もし琵琶湖で地震が起こったら、大津波が起こるのですか」といった素人ぽい質問をぶつけてみました。一昨年のスマトラ沖の大地震では多くの人が大津波に襲われましたが、これは水深の深い海底で発生したものであり、琵琶湖のような浅い水深ではほとんど波立たないというお話でした。この部分はカットしましたが、いまも印象に残っています。
 高島市で劇や漫才で防災を訴えている“たかしま災害支援ボランティアネットワーク”の太田直子さんの「中学生は土地カンもあり、いざという時の戦力になる」という指摘には、目からウロコが落ちる思いでした。もっと驚かされたのは、昨年「減災元年」を宣言された国松善次知事が、今年も「減災元年」を宣言すると述べられたことです。本紙も負けじと今年は、安心、安全にこだわってまいります。


1/3・愛知川左岸道路の整備元年にしたい

 旧能登川、蒲生両町と合併し新・東近江市が誕生した。面積三百八十平方キロメートル、人口十一万七千人とも県内三位と、とてつもない大きな都市になった。面積の六割が山や森、田んぼ、畑など緑に包まれ、自然と人間が共生するまちづくりがスタートする。これまで自然に立ち向かい、自然に教えられながら生活の知恵を生み出してきた人間だが、これからは知恵を授かった人間が自然を守るという試練に立たされる。東近江市は、自然と人間が共生する全国モデルとして、注目を浴びるに違いない。
 一方、鈴鹿から琵琶湖まで広大な面積とともに、石榑トンネルが開通すると、伊勢湾から若狭湾を結ぶ交通の要衝となる。昔から、まちの発展は、人でにぎわい、情報が集まる街道筋だった。今も変わりなく、新しい道がつくと、その道路沿いには新しい店舗が立ち並ぶ。昨年暮、名神八日市インターから愛東、湖東地区に通じる東近江大橋が開通した。市内の南北を走る大動脈だ。
 しかし、東西を一直線に突き抜ける道路が無い。鈴鹿から琵琶湖に通じる愛知川の左岸道路の全面開通に期待がかかる。幸にして国松善次知事は、東近江市に「もみじ街道」の設置を呼び掛けている。愛知川左岸道路にモミジと桜を交互に植え、春は桜、秋はモミジを楽しめる、人と自然が共生する道路を愛知川左岸の堤防に整備したい。ここに、びわこ空港があれば、鬼に金棒なのだが。


12/29・民があって官がある

 本年を振り返り、全国での様々な事件や事故を思い出す。
 なかでも小泉首相が「郵政民営化を民意に問う」とした解散総選挙で自民党が圧勝し、小泉チルドレンという新人が数多く当選し、自民党が大きく変革したことである。これにより小泉首相が「官から民へ、民で出来ることは民ですべきだ」と強く主張している行政改革は大きく前進することになった。自民党総裁の任期である来年九月までに政府金融機関の民営化、道路特定財源の一般財源化などこれまで歴代首相がメスを入れることが出来なかった分野に、郵政民営化法案が国会を通過した勢いで取りかかっている。余りにも早急なために関係する族議員もたじたじだ。しかし、今や一千兆円を越える債務を抱える日本には待ったは出来ず、刻々と増え続ける債務や利息を早急に削減しなくてはならない。
 地方自治にも同様なことが言える。今や県も市町も税収が落ち込み基金も枯渇し、財政状況は緊急事態だ。そんな中、市町は市町村合併で危機を乗り越えようとしているし、首長の力量によっては合併をバネとして乗り越えることも出来よう。しかし、首長一人の力では難しく、首長を支える数多くの職員の協力も必要となる。
 よく官と民の間で連絡不足のために「言った、言わない」というくだらないもめ事があるが、民があってこそ官があることを忘れずにお互いが良いように考えれば、事はスムーズに運ぶのである。
 「民があるから官があるのであって、民が去っていけば官は存在しない。」
 二○○五年、年末の言葉としたい。


12/28・議員報酬削減案は何処に行った

 東近江市議会の太陽クラブ(代表・鈴村重史)が議長に対して「議員報酬の削減および政務調査費の撤廃について」の議員提案を行い、全員協議会で協議し政務調査費の撤廃は取り下げ、議員報酬の削減は来年三月に結論を出すとして議長預かりとなった。
 提案の背景としては財政状況が把握できない状況で、単に報酬審議委員会の答申に基づき議員報酬を決定したことに同クラブが疑問を抱いたからだ。更に来年編入合併する能登川町と蒲生町で東近江市議会議員増員選挙が告示され、九名の議員が誕生し東近江市議会は合計三十三名の議員構成となるが、三年十ヶ月後の市議選では定数二十四名となる為、暫定的な増員となる。議員報酬を定数二十四人と積算して暫定の定数三十三名で分け合ってもおかしくはない。
 更に、議長、副議長が一般議員よりも議員報酬が高いことにも疑問を感じる。議長、副議長はあくまで名誉職であり、進んで着いた椅子なのだから議長、副議長、議員の報酬は同額とすべきであり、議長、副議長に与えられる交際費も全議員のものであるべきだ。
 議員報酬削減案には全議員が引き下げに関しては異論がなく、今回議長預かりとなった。
 三月には市民が納得する議員報酬削減案が議会に提案されることを期待し、この案件と共に新市として充分検討しなくてはならない重要課題に「職員の削減や給与引き下げ問題」があるが、それを語るには自らの痛みを伴わなくては、一般職、特別職の地方公務員と市民が一つになり得ない。


12/27・来年こそ新・東近江市の飛躍の年にしたい

 旧八日市市というより旧湖東、愛東両町が待ち望んでいた県道湖東八日市線の愛知川に架かる東近江大橋が開通した。昭和四十七年の八日市市総合計画に位置付けられたが、進展を見ないまま久しく時が過ぎた。平成五年に八日市・愛東・湖東地域振興協議会が設立され、愛知川新橋の本格化をみた。町内の道路を整備しても「八日市に通じる道路がなければ」と、常に申されていた西堀茂平・元湖東町長の言葉を思い出す。東近江大橋の開通を一番喜んでいるのは西堀元町長のような気がする。
 古くから生活面や経済面で深いかかわるを持つ旧一市二町を一本の線で結ぼうと、名神八日市インターから国道307号(旧湖東町中里)に通じる総延長五・六キロの緊急地方道として計画された。東近江市が誕生して、待望の東近江大橋が開通したことは、今後の経済発展に役立つことは間違いない。単に交通渋滞の緩和だけでなく、東近江市一体化に向けた地域間の交流に期待がかかる。
 来年一月一日に能登川町、蒲生町が合併し新・東近江市が発足する。鈴鹿から琵琶湖まで県下三番目の市となる。県境トンネルが開通すると、太平洋から日本海に通じる交通の要衝ともなろう。東近江市の東と西を一直線に結ぶ主要幹線道路がほしい。鈴鹿から琵琶湖に通じる愛知川の左岸堤を生かした道路の整備に期待がかかる。来年こそ、地域の将来発展につながる新・東近江市の足場を固め、さらなる飛躍の年にしたい。


12/24・指定管理者制度から守るべきは図書館だ

 千葉県市川市の姉歯建築設計事務所による構造計画書の偽造問題に、ついに捜査の手が入った。建築確認申請を行う際に添付する構造計算書の検査は、従来は自治体の建築主事が行っていたのを、平成十年の建築基準補の改正で民間任せにしたことが、そもそも今回の偽装事件の背景になっている。小泉首相が進める「官から民へ」の流れが、はたして万々歳なのか、今回の偽装事件は再考を促しているといえる。
 いまや「官から民へ」の流れは地方自治体にも及び、公共施設の管理業務を民間企業などに委託する指定管理者制度が来年から一斉にスタートすることになる。栗東市の「栗東芸術文化会館さきら」も、民間企業を指定管理者候補者にしようとしたことで論議を呼んでいる。
 しかし高い金を出してもいとわない人らも利用する芸術文化施設よりも、もっと切実な問題をはらんでいるのは市場原理を導入しようとする動きである公立図書館である。図書館は、地域の子どもたちからお年寄りまで、さまざまな人たちが活用できる、いわば草の根の文化拠点だ。金持ちであろうが貧乏人であろうが、そんなことには関係なく、全ての人の知る権利を保証する教育施設でもある。滋賀県が全国に誇れる数少ないものの一つに図書館行政の充実があげられているが、それをあえて捨ててまで、民間委託ならなんでもいいという短絡的発想は、厳につつしむべきである。


12/22・地上デジタル放送の普及

 普及率百%とも言えるテレビ受信機、その放送が二○一一年七月に完全にデジタル放送に移行するために、従来のアナログ放送にしか対応していない機種は放送を受信できなくなり、専用のチューナーやデジタル対応機種に買い換えを余儀なくされている。
 その地上デジタル放送を普及させるためには新たな中継基地の建設が必要なために膨大な費用がかかるが、総務省は地方自治体に整備されている行政光通信網を活用する計画を建て、来年度に関連事業費の一部を利用して検証に乗り出すとした。この行政光通信網は地方自治体が役場と支所などを光ケーブルで結び日常の事務連絡や災害情報連絡等に利用しており、整備されている自治体は全国で約千七百ある。その光ケーブルで結ばれた末端の公共施設の屋上等から簡易中継局として簡易電波発射装置(ギャップフィラー)を使って各家庭に送信することにより、安価にデジタル放送の受信を目指す。無線で送信するためにケーブルの工事やメンテナンスが不要となりランニングコストは非常に少なくなる。
 情報伝達手段として有線、無線があり長所、短所が様々あるが、電話線などのメタル(金属)線はその寿命が約八年と言われており、光ケーブルでも寿命はある。ケーブルの更新が有線放送等の経営を圧迫し廃局した例がある反面、無線方式の携帯電話は今や九千万台近く普及している。
 様々な試行錯誤があるがコスト面から考えても簡易中継局方式を利用すれば地上デジタル放送の普及に弾みがつくであろう。


12/20・東近江市の夜に閑古鳥が鳴く

 東近江市教育委員会の幹部職員が先日、忘年会の帰りに飲酒運転で逮捕された。合併して初の中間管理職が催した忘年会だというのに、参加していたのは七十二人中、半数の三十六人だった。常に「これまでの垣根を取り払い、一体感が持てる東近江市にしたい」と語る中村功一市長の意をくんでいないように思える。職員自らが一体感を示さなければ。
 庁内から、合併後の垣根を取り払ってもらいたい。その良い機会となる忘年会だというのに。この不祥事に、やむなく中村市長は「あってはならないこと」として、忘年会の自粛を打ち出し、市民の模範となる行動を求めた。現在、市職員は約八百人いる。飲食代や二次会費を含め一人一万円が忘年会費用だとすると、東近江市の夜にとって、一回八百万円の経済効果が生れる。例年だと一人二、三回のペースで催され、約二千万円が東近江市の夜から消えた。
 一方、永源寺支所でも合併後に付与された仕事を忠実にこなさない服務規定違反があった。飲酒運転は個人的な意識欠如だが、服務違反は組織上の責任が問われる。すべての責任は最高責任者の中村市長が負うが、その制裁に頭を痛める。人員削減や給与カット問題などに口を挟む職員組合と協議し、連帯責任として市職員すべてのボーナス返上ではどうか。


12/17・新幹線新駅は、一つのツールに過ぎない

 国松善次県知事は、東海道新幹線びわこ栗東駅(仮称)の建設費のうち甲賀市が減額を求めている一億七千五百万円分が未解決の場合でも、年内にJR東海と工事協定を締結する方針であることを十三日の十二月定例県議会で初めて明らかにした。国松知事は七月の臨時議会で「責任を持って(甲賀市の未調整分を)工事締結までに解決したい」と決意表明していただけに、県議の間で波紋が広がっている。
 国松知事は先日、甲賀市の中嶋武嗣市長と会談をもったが、平行線をたどったため、もはやタイムリミットと判断したのだろう。県は関係六市のうち、甲賀市には四億二千五百万円の負担を求めたが、市は独自に試算した二億五千万円を譲ろうとはしない。県にもボタンの掛け違いがあったのは確かだが、今回の“オレ流”の市のやり方にも疑問が残るのは事実だ。ともあれ国松知事は、来夏の知事選にクレームがつくのも覚悟の上で、あえて決断したのだろう。
 よく湖国を県がどうデザインしたいのかサッパリ分からないという声を聞く。振り返ってみれば、稲葉稔前知事時代から、びわこ空港計画まずありきで、そこに高速交通ネットワーク構想を張りつけただけの格好だった。今回の新幹線新駅構想も、実質的には栗東市がプランを練っており、県全体のデザイン化には至っていない。新幹線新駅は、あくまで一つのツールに過ぎない。そろそろ県は立命館大学などの研究機関と連携して、新しい滋賀の全体像の策定を、湖南地域に限れば経済特区の構築といった第二ステージへと、駒を進めるべき時にきている。


12/15・牛肉輸入再開と薬害エイズ

 国民の大多数が「米国産牛肉は食べたくない」とする中、牛肉輸入が再開された。これは内閣府の食品安全委員会が十月末に「米国産とカナダ産の牛肉について、一定の条件が守られれば日本産牛と比べてリスクの差は非常に小さい」との見解を受けて、十二月解禁の手続きを進め、丁度先月来日した米国大統領への手土産とした格好になった。しかし、日本では二種類以上の方法で一次、二次検査を行うという全頭検査を行ってきたが、米国では過去、二十四ヶ月以上で歩行困難な牛などを対象に一次検査しか行っていなかった。二年前にカナダからの輸入牛でBSE感染が発見されてから、ようやく一次、二次検査を併用するようになり、本年六月には二例目のBSE感染牛を摘発したが、この牛はテキサス州生まれの米国産であった。
 二例目のBSE感染牛は当初の検査では見落とされていたが、検査機関からの要請で専門機関が再検査し陽性と判明、米農務長官は見落としを認めて検査体制の見直しを指示したが、遅すぎる措置に米国のあまりにもずさんな検査体制を暴露した結果となった。
 こんなずさんな検査方法と情報がほとんど公開されない状態で、「リスクの差は非常に小さい」と食品安全委員会のプリオン専門委員会が様々な圧力下で出した苦肉の結論といっても過言ではない。
 日本国内では耐震強度計算書偽造事件や小学生誘拐殺人事件などのニュースを連日耳にするが、決して牛肉輸入再開問題を忘れてはならない。
 米国の圧力に屈して、日本が食の安全を守るために確立した全頭検査を無にする輸入再開に対抗するには自己防衛しかない。さもなくば厚生省が犯した「薬害エイズ」問題の第二の被害者になる恐れがある。


12/13・「人に優しい道づくり」は口ばかり

 東近江市の中心部を南北に走る通称・大凧通りは、市民生活を代表するメインストリートである。一直線に伸びた道路沿いには、ショッピングセンターや中央公民館、図書館、保健センター、神社、郵便局、金融機関、芸術文化会館、病院、中学校などが立ち並ぶ。自動車や自転車、人が行き交うモデル的な道路であるはずだが、実態は、そうでない。車道から公共施設に乗り入れる車が多く、車を優先した歩道の勾配が激しく、スキーで言う斜滑降でないと、真っすぐ歩けない。メイン道路では、人と車の目に見えない葛藤(かっとう)が演じられている。
 道路を管理する市は、道路法二四条に従い、自分の都合で道路(歩道)を変形する場合、届け出を義務付け、完成後に検査を行い供用を許可する。許可するに当たっては当然、そこには人と車の共生が最優先されるべきだが、工事費を負担する施主の意見が優先されていることが、歩行者はじめ車椅子に乗った障害者からの苦情から伝わる。残念なことだ。
 この苦情を市の道路管理担当者にぶつけたところ、現場を確認したが「問題ない」として、施主や庁内で協議することなく不問に付した。この判断は、仕事上の許容範囲内に有るとしても、市民の目線を重視する道路行政に程遠く、事故が起こらなければと願うばかりだ。車優先だった道路整備の時代は過ぎ、今では「人に優しい道づくり」を最重視している。知恵を絞って、利用度の多い歩道から手掛けなければ、歩行者重視の「人に優しい」は、口先に終ってしまう。