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滋賀市民新聞(中央政界特報)
平成20年11月4日(火)第4870号
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臨戦状態が続いている。体力勝負の様相に。今度の総選挙に自民党幹部としての真価が問われるのは古賀誠選挙対策委員長。
選挙の陣頭指揮をとる、直接の責任者である古賀選挙対策委員長。
厳しい表情がさらに厳しさを増してきている。
福田康夫首相が誕生したとき、自ら「選挙対策委員長」のポストを要求し、しかもこれまでの幹事長、総務会長、政調会長の「党三役」を選挙対策委員長を加えた「党四役」にしている。
麻生太郎首相はそのまま党四役を維持。
「古賀氏は自分から選挙対策委員長を求めていることもあり、今度の選挙は絶対に負けることができない選挙だ」(永田町筋)
各世論調査の結果は自民党には厳しいものになっている。
自民党内にあって「選挙博士」とも「選挙コンピューター」とも呼ばれているほど票読みに強い細田博之幹事長の見方も厳しい。
「与野党で過半数をとることがまず目標」
現有勢力維持は無理の見方だ。
古賀選挙対策委員長はこの1年で全国をくまなくまわってきている。
自分の目で情勢を確かめてきている。そこで感じてきたのは自民党への逆風。
古賀選挙対策委員長自身にとってもこれまでにない「きつい選挙」に。
民主党小沢一郎代表が刺客を差し向けてきている。
古賀選挙対策委員長の選挙区は福岡7区。ここに民主党が擁立してきたのは八女市長を4期務めた野田国義氏。
野田氏はかつて古賀選挙対策委員長の秘書。
「古賀氏にしてみれば、まさかの思いではないか。自分の秘書をしていた人物が対立候補として出馬してこようとは」(永田町筋)
最近、古賀選挙対策委員長は地元の選挙で負け続けている。大牟田市長選では自信を持って推した新人が大差負け。
「地元で負けつづけていることからも、古賀氏の足元は万全とはいえなくなっている」(永田町筋)
古賀選挙対策委員長が国会を目指して初出馬したのは39歳のとき。このときは4500票差で次点に泣いている。
だが、その後は有無を言わせぬ強さで当選を。
それがいま、かつてない厳しい状況に。
自民党の選挙責任者として。そして自身にとって。
安倍晋三元首相が政権の座を突如として降りてから1年2カ月になる。辞任記者会見は19年9月12日。
「小沢一郎民主党代表に党首会談を断られて」が辞任の理由に。その後に健康問題が。
辞任直前の各世論調査による支持率は40パーセント強。
麻生太郎首相の就任時の支持率とほぼ同じ数字だった。
あれから1年、地元山口県に何度となく帰っており、ドイツを訪問したり。
出身母体の町村派にも3月6日に復帰している。
派閥にもどってからの肩書きは他の閣僚経験者らも就いている相談役として。
その一方で地球温暖化対策を柱にした勉強会「クールエース50懇話会」を立ち上げている。勉強会には塩崎恭久元官房長官、世耕弘成元首相補佐官らがメンバーとして顔を連ねている。
9月の自民党総裁選では「麻生首相」支持を明確にしていた。
「麻生首相とは関係がよく、麻生首相への影響力を持っている」(永田町筋)
直近の安倍元首相について、昭恵夫人が。
昭恵夫人は10月3日、ラジオの文化放送「寺島尚正ラジオパンチ」に生出演。
近況について「夏に夫婦で沖縄に行きました」と語っている。
「夫はすべてを忘れることができる趣味がこれまでなかった。また海に行きたいですね」
昭恵夫人自身は沖縄でスキューバーダイビングの免許を取得している。
わずか1年で政権の座を降りてしまっているだけに、麻生首相へどこまで影響力を出してくるか。
政権の座に就いてから1カ月が過ぎた麻生太郎首相。祖父の吉田茂元首相そっくりの「ワンマン」ぶりを発揮している。
「すべては自分が決めるとばかり、周囲の声にあまり耳を貸さない。与党内でもこのことに対し不満の声があがってきている」(永田町筋)
そんな麻生首相をもじった「太郎ちゃんまんじゅう」(12個入り630円)が発売されているが、これがなかなかの評判。
発売しているのは東京荒川区の菓子土産問屋「大藤」。
大藤は歴代首相のまんじゅうを製造しては販売している。
小泉純一郎元首相のときは「純ちゃんまんじゅう」を。安倍晋三元首相のときは「晋ちゃんまんじゅう」を。そして福田康夫前首相のときは「やっくんのビンボーくじで福がきたまんじゅう」を売り出していた。
これまでで一番売れたのは「晋ちゃんまんじゅう」。いまひとつだったのは「やっくんのビンボーくじで福がきた」だ。
麻生首相の「太郎ちゃんまんじゅう」だが、カステラまんじゅうと、牛乳まんじゅうの2種類。10月1日から発売されている。
麻生首相の好物がカステラ、牛乳であるところから。
麻生首相の支持率だが、予想されたものより低い。しかも支持率は発表されるたびに伸び悩み。
そんな支持率とは反対に「太郎ちゃんまんじゅう」は売れ行き好調。
福田前首相の「やっくんのビンボーくじで福がきた」は2400箱から出発しているが「太郎ちゃんまんじゅう」は最初で一万個を製造。スタートからして違っている。
分刻みで公務をこなす内閣総理大臣。麻生太郎首相も、それこそ隙間のないスケジュールに追いまくられている。
そんな麻生首相を支えているのが6人の侍。つまり6人の秘書官だ。
これまで各省庁からの首相秘書官は4人だった。決められていたわけではないが、4人体制が慣例に。
麻生首相はこの慣例を破り一人増員して5人体制に。
その顔ぶれは財務省から淺川雅嗣副財務官(81年入省)、外務省から山崎和之官房総務課長(83年入省)、経済産業省から柳瀬唯夫企業行動課長(84年入省)、警察庁から室城信之企画分析課長(82年入省)、そして麻生首相によって増員された総務省からの岡本全勝官房審議官(78年入省)。これに政務担当として20年以上、麻生首相の公設秘書を務めてきている村松一郎氏(52)が。
増員された岡本氏は麻生首相が総務相時代に官房総務課長を務めたことで、強いつながりができ、今度の秘書官抜擢に。
それに「地方を重視する」という狙いがあらわれている。
首相官邸は地下1階、地上5階建て。首相の執務室は最上階の5階。ここには首相執務室のほかに正副官房長官室、そして秘書官がつめる大部屋がある。
総務省、外務省、経済産業省、警察庁、財務省からの5人の秘書官と首相の公設秘書から政務担当をする秘書官と6人体制。各省庁からの秘書官は「将来の次官候補」と呼ばれるエリートばかり。
歴代首相は秘書官をなによりも頼りにしている。公務が終わったあと、秘書官との食事は欠かせないものに。
68歳の麻生太郎首相。元気も元気。
政権の座に就いて以来、東京渋谷区神山町の自宅に帰るのは12時近くの毎日だ。
「とにかくタフ。政権の座をものにしたということで張り切っていることもあるが、タフさには周りのほうが圧倒されている」(永田町筋)
タフさをあらわしているのに夜の行動がある。
歴代首相は食事を楽しみにしていた。森喜朗元首相、小泉純一郎元首相は大変なグルメで、それこそ東京中の高級レストラン、料亭を食べつくしている。
フレンチ、イタリアン、中華、そして日本料理と。
福田康夫前首相も「おいしい料理を食べ、ワインをいただくのが至福の時」と、行きつけのフランス料理店に顔を出していた。
麻生首相は違う。レストランで食事をするよりバーでグラスを傾ける。これが麻生首相のスタイル。
就任したその日に顔を出したのはホテルオークラのバー「ハイランダー」だ。9月29日から10月10日に限ってみても、29日、赤坂ANAインターコンチネンタルホテルのバー「マンハッタン・ラウンジ」、10月1日、六本木のバー「馬尻」、2日、帝国ホテルのバー「ゴールデンライオン」、7日、帝国ホテルのバー「ゴールデンライオン」、8日、帝国ホテルのバー「ゴールデンライオン」、9日、ホテルオークラのバー「オーキッドバー」、10日、グランドホテル浜松のバー「サムデー」。
7日などはバーだけではないが中華料理店、日本料理店、そしてバーと3軒のはしごをこなしている。それにしても恐るべき体力。
総裁選からすでに1カ月が過ぎた。
だが、いまだに自民党各派には総裁選の後遺症が残っている。
圧倒的な強さで総裁選に勝利し、政権の座をものにした麻生太郎首相だが、目指していた「完勝」ではなかった。
議員票大量獲得に強気だったが、予想していた票よりも少なかった。
この事実は各派の内情をあらわしている。
最大派閥の町村派は、総裁選で森喜朗元首相と中川秀直元幹事長の仲が冷えてしまい、いまだに尾を引いている。
「完全に仲が修復するのには時間がかかりそうだ」(永田町筋)
森元首相は麻生支持を鮮明にし、中川元幹事長は小池百合子元防衛相を担いだ。小池元防衛相は議員票だけで46票を獲得。
「多かったね。予想されていた票よりずっと多かった」中川元幹事長は「まずまず」の構えのまま。
「町村派が一枚岩でなくなったのは確か」(永田町筋)
もっと深刻なのは町村派につぐ勢力の津島派。
総裁選で津島派は三分裂。麻生首相を支持したのはベテラン議員だけで中堅・若手議員は津島派から出馬した石破茂氏を。そして参院議員は与謝野馨氏を支持とバラバラ。
かつて旧竹下派時代は「一致団結箱弁当」「鉄の結束」と言われたように、派閥は一丸となってまとまっていた。
だが、いまの津島派は一致団結にはほど遠い。総裁選でさらにしこりができてしまい、いまだに派内でいがみあっている。
10月早々に開かれた派閥総会でも、互いに批判の応酬に。後遺症は重症だ。
中曽根弘文外相がいきなり、力量を問われてしまった。
米政府による北朝鮮のテロ支援国家指定解除。これは中曽根外相にとっては寝耳に水。
「まさに日本は蚊帳の外に置かれた。外務省、そして外相の非力さのあらわれ」(永田町筋)
麻生内閣に中曽根氏が外相として入閣したとき「これまで外交にはタッチしてきていない。世界を相手にやっていけるか」の懸念の声が永田町にはあった。
それが、就任早々にして力量問題に。
日米財界人会議での講演で中曽根外相は、胸を張っていた。
父親の中曽根康弘元首相が、レーガン大統領と緊密な「ロン・ヤス関係」を作っていたことに触れ、「私も強固な日米関係を築く」と。
父親に負けないことをアピール。
麻生内閣18人のうち、11人が世襲議員。このことへの批判の声は強い。
「世襲議員でないと大臣にはなれないのではないか」
中曽根康弘元首相も世襲議員による大臣がズラリの麻生内閣に批判の目を向けている。
テレビの番組の中で「これは世襲の弊害だ」とバッサリと斬っている。
父親として中曽根外相をどう見ているか。中曽根外相も世襲議員そのもの。
「中曽根元首相は父親として気が気でないのではないか」(永田町筋)
なにしろ中曽根元首相は外交を最も得意としてきた。また実績も残している。
中曽根外相としては緊張の日々が続く。政治家としての真価が問われるポストだ。
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