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(Oldish Boyの仲間たち) |
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湖灯塾「野洲からレボリューション」(2006.3.14 記) |
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若々しく情熱がほとばしるような雰囲気を持たれた好感の持てる先生。 世界に通用する(グローバル・スタンダード)ためには、「ちょいずる」(少し狡い、駆け引きにたける、だまし)もあってよいのではないか。 話の要点は京都新聞で、今月は10日(金)午後6時から開催された。 |
講演「話しかけてくる声」(続き)(2006.3.14 記) |
| 竹内敏晴先生のお話から、更に一つ、二つを紹介しましょう。 「話し言葉」は次の3つに分類できる。 @ 情報伝達のことば。 私たちの二以上会話がこれになる。 A まことのことば。 例えば、若い男女が交わす「月がきれいね」のまことのことばが「愛しているよ」になるように。 B 呼びかけのことば。 例えば、昔、私たちが幼かったとき。友達の家の前で、あそびに誘ったときの節を付けての呼びかけ、 「○○ちゃーん、あそびましょー」 「歌うと訴うとは同根」 情景を思い浮かべられるような歌を歌おう。 現在、小学校で先生が教えている唱歌はメロディーだけが強調されているが、もっと歌詞を大切にして欲しい。 例えば、「夕焼け小焼けの赤とんぼ」が、「夕焼け小焼けで赤とんぼ」でもなく、「夕焼け小焼けに赤とんぼ」でないことを考えたことがありますか? と問いかけられる。 「夕焼けの赤」と「赤トンボの赤」が重なって「夕焼け小焼けの赤とんぼ」になるのだと。 また、「あなたと私、仲良く遊びましょう。大きな栗の木の下で」の歌を考えみましょう。 栗の木の下はそんなに楽しい場所でしょうか? その花の匂いは決してよいものではないでしょう。実がなる頃はイガが頭上に落ちてくる危険もあります。 といって。 先生も随分調べられたが、わからなかったそうである。 |
講演「話しかけてくる声」(2006.3.12) |
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そのうちの一つ。 |
人間は何を食べるのがよいか(2006.3.10) |
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今、田村一二著「茗荷村見聞記」を読んでいる。 |
Radio Sweet 「FM ひがしおうみ」に出演 |
東近江市のコミュニティ放送「FMひがしおうみ」にパーソナリティとして活躍中の谷口和子さんからお誘いを受けて、出演しました。 |
映画「単騎、千里を走る」(2006.2.27) |
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| 上映期間終了間近とあって、急いで観に行った。今回も読売YCの鑑賞券を頂戴して、彦根ヴィヴァシティシネマまで。 日中合作映画、監督は中国人のチャン、主役は高倉健。 日本と中国で、それぞれ長く別離の子に、父親が絆を求めて再会を目指す2組の物語。 中国の奥地・雲南省の大自然。 黄土と土柱の日本では見られない風景(山容)や集落・中国風家屋の俯瞰を旅心でもって楽しんで見た。 この虚実取り混ぜた映画に、ときには感興を呼び起こさせ、ときには損なわされた。 中国語が話せない高倉が自分の願いを現地語に通訳したビデオに撮る。そのビデオが役所の責任者を感動させて、刑務所での犯人との面会だけでなく、犯人に劇を演じさせ、その劇を刑務所内に持ち込んだカメラで外国人に撮影を許可する。 そんな中国なんて私には到底想像できない。 画面で見る限り、この荒漠とした黄土の地でこれだけの人家が見える。この人たちの生活は決して裕福では無かろう。 しかし、高倉が父親に会わせるために少年を探しに来たと知ると、友好的な村人は大歓迎の宴を催す。 なんと家と家との間の路地に長いテーブルを延々と並べる。画面からでも100bももっと越えるのではと思える程、そして人数からは到底食べきれない料理がわんさと置かれている。 虚構を見せつけられる思い! 出演者の殆どが現地の素人ということだが、真実が描かれていると思わせる場面もまた沢山ある。 例えば、村人が男女を入り混じって、喧嘩でもしているかのように侃々諤々の論争をするところや男が泣く場面では目から涙を流すのではなくて、鼻水やよだれを流す姿(話では聞いていたが、見るのは始めて)。 夜に村人が総出で少年を探すところでは手に手にたいまつを掲げているところなどなど。 父のいなくなった子どもは村の子どもとして育てる人情。しかし父の居所が分かれば、子どもの意向などは無視され、何としても父の元へ行けと高圧的な村長の姿に迫力があるのも、脚本と現実が似合ってのことだろう。 涙もろい私だが、この映画ではハンカチを必要としなかったのは、鑑賞方法がちょっとひねくれていたからだろうか? |